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December 26, 2004

ク・ジャヨン 『B_ it』展 / アン・スジン 『metronome』展  12.10-2005.1.16  イルミン美術館




光化門にあるイルミン美術館。



東亜日報という大新聞社の経営するイルミン美術館
光化門の十字路に行けば、その独特な建築にすぐ目が行くだろう。

今回は1階でク・ジャヨン、2階でアン・スジンの作品がそれぞれ展示されている。




ク・ジャヨン ビデオ/パフォーマンス 『B_ it』展



図録。人が図録をめくっている連続写真からなる。画像の粗さで、映像からキャプチャしたものと分かる。
映像による入れ子構造は、彼の作品と通じるものがあっておもしろい。




ソウル大学を卒業後、ニューヨークに渡りビデオアートを学んだ後、当地で活動したク・ジャヨン。
アメリカや日本など海外でも多く展覧会を開いている。


「be it」と「bit」がかけられた名前のついた今回の展示では、『The Shade』と『Light Box』が見られる。
どちらも、自らのパフォーマンス映像をプロジェクターで何重にも投影し、何が実際なのか分からないような世界を作り出している。



『The Shade』は、モニターでの展示。
男性(=作家自身)が、映像を映した小さなスクリーンをカメラに近づけてくるところから始まる。
そこには大きなドアが映っていて、そこには、男性がドアやその向こうにあるシェードを開ける映像が何重にも投影されている。


本当のドアは1つしかないから1回しか開かないはずなのに、男性が何人も出てきては、たまねぎの皮をむくようにドアを何回も開けていく。
しかし、最後にはちゃんと本物の窓とシェードを開ける。
シェードを開けたあと、そこにはガラス窓があり庭が見えるのだが、それまでにすでに私たちは混乱してしまっており、本当にシェードが開けられたのかと疑ってしまう。
庭からこちらを覗く男性の姿は、投影された映像なのか、違うのか。
とはいえ、もともと小さなスクリーンに映された映像なのだが。


後半は、同じようにシェードやドアが閉められていく。
最後にスクリーンがカメラから離され、暗転となる。



また、『Light Box』は実際にプロジェクター2台を使っての展示。
イルミン美術館の展示スペースには一段高いステージ様の部分があるのだが、そこの2面の壁がぶつかる角に、何も書かれていない広告用のライトボックスが1つ置かれている。電気はついていない。
映像はそこを起点として、左右2面の壁にそれぞれ投影されている。


左右から男性(=作家)が現れ、ライトボックスを眺めたあと、それぞれ動かしだす。
映像内のライトボックスが、本物と重なる位置に映されていたのだ。
(その時、当然ライトボックスの数は3つに増える)
ライトボックスを眺めたりウロウロした後、2人の男性はそれぞれの目の前にあるライトボックスに蛍光灯の写真が印刷されたフィルムを垂れ下げる。
そして、また元の位置(つまり、本物のライトボックスと重なる位置)に戻した後、それぞれのコンセントをプラグに差し込む。
その瞬間、本物のライトボックスの電源が入り、まぶしく光りだす。
私たちは一気に映像の世界から現実に引っ張り出される。


現実と映像という関係だけでなく非現実の中の非現実といったレイヤーを重ね合わせることで、まるで暖かい部屋から寒い外に出たときのような差を強く感じさせてくれる作品群。




アン・スジン 『metronome』展



展示風景。上=『metronome』、下=『龍』



こちらはキネティック・アート。

『龍』という作品は、車輪が地球儀で作られた三輪車が、線が引かれた場所をぐるぐると回っている。
サドルには長い棒がささっており、その先にはおもちゃの恐竜の頭がささっている。
これは、「アジアの龍」たろうとして現実にはなれていない韓国を、アイロニックに表現したもの。
アン・スジンは、このように政治的・社会的問題に対し関心を持ち、制作の原動力としている。



『ステレオ水槽』は、韓国民主化運動の中で命を落としたある大学生をモチーフにしている。
その大学生は1987年、治安当局にマークされていた学生運動のメンバーを自分の下宿に一晩泊めたということだけで、そのメンバーの所在を問うため当局に連行され、水攻めなどの拷問を受け翌日死亡した。
当時20歳だったというから、1962年生まれの作家と同世代だ。
作品は、2×3メートルの黒い水槽の中、水面ギリギリに3つスピーカーが顔を出しており、そこから『Mr.Sandman』の「bring me a dream~」というフレーズが、やや古ぼけた音でとぎれとぎれに流れる。
手前には、水面に口をつけた拡声器(学生運動に不可欠なアイテムだ)が置いてあり、それにつながっているペダルを踏むと水面から拡声器が持ち上がる。
すると拡声器は、「知らない! 知らない!」と口から水を滴らせながら悲鳴を上げる。


拡声器は得てして、違う思想を持つ集団に向けて自分の思想を聞かせようという目的で使われてきた。
だが、その声が届かないことはままあるし、かえって2つの集団の距離を開けてしまうことだってある。
『ステレオ水槽』の拡声器は、そういうツールとしての悲しさを漂わせている。



また、展覧会の名前となっている『metronome』という作品は、小さなおもちゃのパワーショベルのショベル部分だけを使っていて、そこに大きなメガホン状のステンレス板がくっついている。
それが2つ向かい合って対になっている。
ショベルは規則的に動き、ショベルが空を切るたびにギシーッという嫌な音を立てる。
その音がメガホン状のステンレス板を通って響く。
私たちが住んでいる文明社会が作られる際に、刻まれたはずの重機のリズム。
そのリズムが、私たちや重機によって作り上げられた社会にも刻まれていて、私たちはこのリズムを聞かされ、無意識のうちにパブロフの犬のように反応し、行動を強制されているのかもしれない。



Posted by art,seoul at 12:10 AM

December 21, 2004

イ・スンジュ 『傷』展 12.1-12.31 プロジェクトスペース・サルビア茶房



 
サルビア茶房の独特な雰囲気を持つ壁に、様々な顔が浮かぶ。 (c)LeeSunju



弘益大学校西洋画科などで学んだあとドイツに渡り、2001年まで滞在したイ・スンジュ。
今年は5月にソウル市立美術館で開かれた『美術館-春-外出 ART in BLOOM』展、6月末にはトータル美術館(ここもかなり独特な場所)で『天国より見知らぬ顔 Stranger Than Paradise』で合同展に参加した。
今回の『傷』展は、ソウルでの初めての個展となる。



サルビア茶房は以前ユン・ジュギョンの『Contents Of Self-portrait』展にも取り上げたが、内装のない、というより内装を剥ぎ取ったような壁がむき出しになった空間である。
そこには、多くのシミや傷や、コンクリートのムラや、コンクリートから覗くレンガのかけらや配電のコードを見ることができる。
イ・スンジュはその壁面を見て、湧き上がるイメージをそのまま壁面に転写するように、水彩絵具などで絵を描いていく。
今展が『傷』と名づけられているのもそのためであり、サルビア以外では見られない展覧会となった。




子どもと犬が出している舌は、コンクリートからむき出しになったレンガ。
(c)LeeSunju



(c)LeeSunju


私たちは、岩の割れ目や壁のシミや石の形に、何か生あるものや神を見たりする。
また、例えばぴかぴかに磨かれた車のボンネットについたちょっとした傷や汚れに、思わず興味を示してしまう。


イ・スンジュの「傷」に対する衝動も似たようなものであるが、彼女はいきなり普遍性のあるものを描かずに、壁の傷を見てフラッシュバックした自らの個人的な経験、日常から得たイメージを描き連ねていく。
彼女の手法が分かると、もうすべての傷が怪しく見える。
なぜなら、一目見てはっきり分かる絵ばかりではなく、ひっそりと隠れるようにしてこちらを見ている目があったりするからだ。
作品とただのシミの境界線が薄れて、ありもしないものを見ていたかもしれない。


また、描かれたもの一つ一つはまったく脈絡がないが、見渡すと、ファンタスティックで、しかしシニカルな世界に自らが包まれていることに気づく。
絵巻物の中に紛れ込んでしまったような、おかしな感覚に襲われる。



イ・スンジュには、『天国より見知らぬ顔 Stranger Than Paradise』展に出展した、壁の銃撃痕にペイントした『イングランドのある兵士』という作品もある。



作品の掲載を許可くださったサルビア茶房に感謝いたします。

Posted by art,seoul at 12:14 PM

December 16, 2004

チョン・ヨニ 『穴』展 11.12-12.10  オルタナティブスペース LOOP




階段部分に展示された作品『こっちに行けば…』
(C) Jung Yeounhee




「空間に強い興味がある」とチョン・ヨニ。
その空間を撮った写真に穴を開け、裏側から油彩やアクリル絵具を練りいれて表に噴きださせる手法で作品を作ってきた。
噴きだしている塊はスライムやゲルのような動きを想像させ、彼女の咀嚼したものが、身体そのものや内臓といった生々しいものから込み上げ、はみ出てしまったように見える。


建築物(=人造物)の空間が発するイメージ・記憶からインスピレーションを受け、写真を撮る。
次の過程で作家と対峙するのは、飽くまでも写真のプリントであって想像力によって再現された空間そのものではないという。
作業が終わると、その作品は作家がインスピレーションを得た現場に戻され、展示される。
三元的なものから二元的なものへ、自分の内面にあるものを表出させるために転化させたあと、それを三元的空間へと割り込ませる。
そしてその空間をも再構成してしまうという作業を彼女は続けている。



今回LOOPで展示された多くの作品も同じく、LOOPの展示スペースをまず写真に撮って、絵具や小さな人形などをはみ出させる作業をした後、写真に撮ったのと同じ場所に展示している。



左=『ブンブンブンブン』(新作)、右=『扉』   (C) Jung Yeounhee


チョン・ヨニが今まで「場所」として選んできたものには、西大門刑務所(『衝突と流れ』展に出展)、建て直しのために取り壊しを待つボロボロの団地のようにも見えるアパートなど、人間の生活から少し距離を置かれてしまったものが多い。
(日本で廃墟に踏み入ることや廃墟に関する本などが流行したのを思い出すが、あのブームは今いずこ)


例えば『扉』という作品では、西大門刑務所の独房の扉を写した写真の、扉の下の隙間に当たる部分から、赤い絵具がはみ出ている。
『衝突と流れ』展では照明がなく暗かったこと、そして西大門刑務所そのものの記憶とあいまって、非常におどろおどろしく感じられたものだった。
こんな粘っこいものが独房の中からはみ出てしまうほどの、強い念。


今回の『穴』展にも、その『扉』という作品が展示してあったが、『衝突と…』展で見たときのようにはショッキングだと感じられなかった。
LOOPという「韓国先鋭芸術の象徴のひとつ」「展覧会を行なう華やかな場所」というイメージが、そう思わさせるのだろうか。


だが、チョン・ヨニの今回の展覧会のための作品には、LOOPの白い壁、白いパイプ、ドアののぞき窓からも絵具がはみ出している。
ここが単に華やかな場所なのではなく、人の「念」が積もった場所であること、「ここがどこであるか」ということに気づかされる。





撮影・掲載を許可くださったチョン・ヨニ氏に感謝します。

Posted by art,seoul at 04:41 PM

December 01, 2004

コ・キョンホ 『水の上に花が咲く』展、 パク・ヤンフン 『see』展



コ・キョンホ 『水の上に花が咲く』展 錦山(クムサン)ギャラリー -11・20


カタログ。



ギャラリーに入ると、中は闇が支配している。
壁には、いくつかのほのかな光、そして幻影のような木のシルエットや満月が浮かび上がっている。

今回のコ・キョンホの個展で展示されている作品はすべて『反影』と名づけられており、プロジェクターから映像をいったん水面に反射させて壁や壁に据えつけられた窓に投影させている。
わずかな空気の動きで波立つ水面、その繊細な動きによって、映し出された木のシルエット(『反影-木』)や満月(『反影-月』)が揺らぐ。
非常に詩的で、静寂に沈んだ展覧会となっている。


闇の世界でこそあらわれる昼の残像、光の影、窓の向こうの世界。
昼の光をもっとも幻想的に思い出せるのは闇の中であること、水はそれを受け止める器の大小に関わらず偉大なる媒体だということを意識させる。


錦山ギャラリーは、景福宮(キョンボックン)の東、ギャラリー現代を北にすぎてすぐ。




パク・ヤンフン 『see』展 ギャラリー・チョソン 11・17-12・7


ギャラリー朝鮮のインヴィテーションカード。



パク・ヨンフンは、インドク大学のデザインマルチメディア学科の教授である。
出身もヴィジュアルデザインやコンピューターデザインの学科であることから、作品の見かけはかなりグラフィックデザイン的。

今回の展示の内容は大きく3つに分かれている。

1つめ、これがもっともインパクトのあるものだったのだが、肖像画である。
近くでみるとただの黒い小さな円が規則的に並んでいるだけだが、少し引いてみると、人物が浮かび上がってくる。
肖像写真をデジタル処理し、密度の薄い網点で像を構成したらしい。
網点は写真印刷の際に用いられるもので、新聞の写真を虫眼鏡でのぞいてみると、無数の円で全体像が作られていることがわかる。
この網点の数が多く、点が細かくなるほど、鮮明で普通の写真プリントに近い印刷物ができる(ヴィジュアル雑誌など)のだが、この肖像画はこれが写真であるとわかるギリギリの線まで、網点を粗くしている。
十数点あるモノクロの肖像画の横には、ポップでカラフルな色彩でその肖像画に描かれている人の出生年が大きく書かれてある。


2つめは音響インスタレーション。
『the sound of a drum』は、太鼓の形に掘られた花崗岩がつみあげられ、太鼓の叩く皮の部分に映像が映されている。
水色の水面にぱらぱらと落ちる水滴、それにあわせて太鼓の上方に据え付けられているスピーカーから太鼓の音が聞こえてくる。
よく聞くと、太鼓の音ではなく水面を叩く水滴の着地点に接近して音を採取したものだとわかる。
驚くほど力強い音である。

3つめはクローン動物を題材にしたもので、『red lamb』。
等高線を示した模型の山のようなものが展示してあるが、頂上に積まれている板は、仔羊の形をしている。
よく見ると同じ羊の形の板(スーパーミラーという金属の鏡板)を少しずつ拡大し積んだものである。
クローン技術が果たして人間の幸せになりうるのかという懐疑的な視線をベースに、クローンが工業的に作られうる可能性を示している。
また、壁面にはアニメーションが映されている。
人物が小さな人形をいくつも地面に置くのだが、一瞬でその人形が大きくなり、土下座をしたり、ある者は頭を掻いたり、またある者は肩をすくめたりする。そのクローン人間は、まるでベルトコンベアーに乗ったように左から右へと流れて行き、画面外に出て消える。
そのたびに、人物はクローン人間の種を地面におく。
クローンが生まれて起こる問題ではなく、作ろうとしている人間の精神性を揶揄した作品群である。



Posted by art,seoul at 04:36 PM