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January 31, 2005

チョン・ソンミョン 『月明かりの下、うろうろ』展 1.8-2.4  Gallery Sang




ギャラリー・サンのエントランス。



国際展には姿を見せないが、韓国内では知名度の高いチョン・ソンミョン(千成明)。
1月23日まで国立現代美術館で開かれていた日中韓の若手作家を紹介する展覧会『若き模索2004』展にも、韓国代表として選ばれている1971年生まれの作家である。


彼は、自分を映した彫刻を使ったインスタレーションを通して、追憶の世界を表現している。
それは実際の記憶を飛び越えた別世界であり、童話のような不思議さ・やわらかさと暗く索漠とした印象を共に持ち合わせている。
彫刻に映した大人でもない子どもでもないように見える彼の顔には、孤独と絶望の色しか見えない。



仁寺洞にあるギャラリー・サンで行なわれた今回の展覧会では、ある少女への追憶が主題となっている。
幼いころに一緒に日の暮れるまで遊んだ少女。
彼女と会えなくなったあと、彼は当然成長し、学校、軍隊、社会…を経験する。
ある日、夢でしばらくぶりに会えた思い出の少女は、彼の眼を見ようともせず、横たわっていた。
少女から女性への成熟が見てとれる体つき、しかしその体は触れられないほどにひび割れ、今にも崩れそうであった。その足には、少女が好んで履いた縞のソックスが着けられていた。
彼は黄色い花を振りまき、彼女を葬る。





『月明かりの下、うろうろ-月影に立つ』
資料提供:Gallery Sang




この展覧会には、一編の詩が添えられている。


森が目覚める前に
ある男が森に入って来た。
生い茂った森の木木は
まわりのすべてのものから男をかくして
男はその端からわずかに射す月明かりの下
みずからを無情に屹立させる。
そして月を仰ぎ見る。


鳥たちと木木は眠っていて
石と流れる水さえ眠っている。
月がみずから光らないように
月を仰ぎ見る男もみずから"自分"になることができない。
彼が彼自身でありえない時、彼は悲しみの存在になる。
そして追懐もそこから始まる。
悲しみの芽がひとつひとつ熱病により育ったり男の表皮をたどる時、
固まっていく手足の先から
それほどの深さに追懐が育つ。
今、月は影を長く垂れて
男はその影の中で
みずからまた他の追懐の存在になる。





『月明かりの下、うろうろ-重い森に立つ』
資料提供:Gallery Sang




『月明かりの下、うろうろ-重い森に立つ』
資料提供:Gallery Sang




絶望した彼は、森を彷徨うように混乱し、その混乱の中に自分の分身を見る。
森の上を飛んでいたはずが翼が欲望のために重くなり墜落した自分、月から来たウサギに身を変えた自分…。


「ウサギに身を変えた自分」は、天井に頭を突っ込んだ少女の体を伝って流れる涙を、少女の真下に横たわり、口で受け止めている。
それを、幼いころ好んで来た縞のシャツを来た「自分」が眺めている。


「墜落した自分」は、背に翼がめり込んでいて、起き上がることができない。
その周りを、壁に頭を突っ込んだ少女が何人もの分身になって囲んでいる。
「ムクゲの花が咲きました…」という細い少女の歌声。


翼を失った彼は、暗い森よりは明るい月に行くためにまた翼を作り始める。
月に着いた彼は、自分とそっくりなウサギに出会う。
しかし、少女の涙を受けて生かされていたはずの「ウサギに身を変えた自分」は、自ら光ることのできない月に絶望し、命を絶っている。
その手首からは液体がぽとぽとと流れ出し、それを受ける金だらいは鮮やかな水色に染まっている。





『月明かりの下、うろうろ-月影に立つ』
資料提供:Gallery Sang




『月明かりの下、うろうろ-月影に立つ』
資料提供:Gallery Sang




夢のような幼少期と、それをまったく裏切る現実との軋轢に堕落した自分と自分の中の少女を描き出している。
一瞬彼の特徴である童話のような不思議な雰囲気に気をとられるが、そこにあるのは見る者たちにとっても憂鬱に感じるほどの絶望だ。
生きている限り矛盾は避け得ないが、矛盾に慣れてしまったようでもある私たちに、あえてこういった空虚を見せ付けてくれる。




Posted by art,seoul at 03:24 PM

January 17, 2005

『リフレイン:バルカン-沖縄-韓国』 展 2004.12.17-2005.1.23 トータル美術館




『リフレイン:バルカン-沖縄-韓国』展 インヴィテーションカード。
沖縄の海が、戦闘機に乗っているようなアングルで写されている。
資料提供:トータル美術館




ソウルの中心街からバスで20分ほど北へ離れた平倉洞(ピョンチャンドン)は高級住宅街で、韓国最大の床面積を持つギャラリーガナアートセンターを含めギャラリーが集まっている地域。
トータル美術館(HP工事中)は、その中でも非常に特異に感じられる美術館である。
まずその建築が異様である。
平倉洞は、北漢山(プッカンサン)の麓に位置するために土地が傾斜を持っているのだが、トータル美術館は整地を突き詰めて行なうことなく、それを生かしたまま建てられている(設計はムン・シンギュ)。
そのため、建物内の階段の踊り場や展示室に行くと、いきなりむき出しの岩盤にでくわしたりして驚かされる。
漢江鎮(ハンガンジン)にできたリウム美術館もそうだが、住宅街にこういったユニークな建物が突然出現することは、ソウルではめずらしいことだ。
ガナアートセンターの重厚で巨大な建築に対し、トータル美術館は非常に個性的な建物自体を楽しめる。


野外には舞台もあり、展示のほかにも公演などが行なわれる。
その他にも作業場や作品や、作品なのか建築の一部なのかわからないものが散りばめられたようにある。
屋上にも何かパフォーマンスやイベントをやったような跡が見られる。
それがまったくそっと置かれているので、出くわした私たちは面食らってしまう。




(左)展覧会エントランス。
(右)屋上。横に「オアシスプロジェクト」とペイントされている。



(左)メルトダウンする階段。
(中)めりこんでいく人。
(右)レディメイド? このすぐ横にカフェがある。



実はこのトータル美術館は、ソウルの郊外・京畿道楊州郡長興面にある長興(チャンフン)トータル美術館の分館である。
双方とも実験的作品を扱った企画展を開いているが、長興の方が1ヶ月に1回と、数ヶ月に1回の平倉洞よりもスパンが早いそうだ。
ソウル市内に分化させることで、長興トータル美術館の活動をより多くの人びとに知らせようとしている。




『塩と空』 アタナシア・キリアカコス
古代ギリシャでは貨幣の代わりともなった塩。
労働の対価としての金と汗を象徴。
限りない空との対比。その間に私たちがいる。
資料提供:トータル美術館





『朝鮮総督府正面』 チャン・ファジン
1996年に取り壊された旧朝鮮総督府の前面図と、幾多ものレプリカ。
資料提供:トータル美術館



バルカン-沖縄-韓国と聞いてまず思い起こすのが、「戦争」というキーワードだろう。
この3つの地は他国の侵略を受け続け、その侵略と位置・地形のために他国の宗教や文化が多く入り込み、それらが折衷された文化を自分のものにしていった地域である。
そういった歴史は、おのずとそこに住む人びとの精神形成や政治的態度に影響を与える。
この展覧会では3つの地の歴史と記憶と現在を見ることができるが、むろん冷静な学問研究の結果のようなものではなく、ふるさとの記憶や私的な記憶に起因する葛藤、ジレンマなど当地の人びとが内包する感情や精神性といった熱のこもったなまなましいものだ。
しかし、その土地の者でない人間に、私的で閉じられたような印象を受けさせはしない。
それは構想の中に人間の行為だけではなく「宇宙-人間-大地」という森羅万象の関係性をベースにおいているからであろう。
これは言い換えれば「天地人」であって、社会理念に儒教が大きく影響している韓国らしいと言える。


また、企画者はこの展覧会を「単純に残された記憶の保管所に頼るような、担保をとられた生ではなく、各自の内側に抑圧された魔法のような時間を解いて、鮮やかな記憶を色濃くさせる政治的、美学的実験」と少々扇動的な意味合いに位置づけている。
展覧会名には、生き物の活動、生の衝動としての「リフレイン」という意味合いが込められている。
この展覧会が非常に肯定的な意味合いでくみ上げられていることが分かる。





『ナナムイ招神歌』 比嘉豊光
御嶽(ウタキ)の神女(ナナムイヌンマ)たち。
資料提供:トータル美術館



エントランスを入ってすぐの部屋には比嘉豊光の『ナナムイ』が展示されている。
宮古島・西原の御嶽(ウタキ)で祭祀を行なう神女(ナナムイヌンマ)たちや、祭祀「ユークイ」をする女たちの写真が壁にかけられているが、それがほとんど見えない暗闇に、祭りの火がただゆらゆらと静かに燃えるさまが映像で映し出されている。
そして、「ユークイ」で女たちに歌われる歌がその場を占拠している。
作家は、美術としてでも人類学としてでもなくただ記録をとっただけという。
しかし私たちは、暗闇に目が慣れるまではヴォイドに突き落とされたようなショックと浮ついた感じを経験することになる。




『欲望』 エリフ・セレビ  蜜に溺れていく蜂たち。
資料提供:トータル美術館



エリフ・セレビは動物を題材に作品を作っている。
『欲望』は「最後のバルカン戦争」と言われたユーゴスラビア紛争後のマケドニアで開かれたワークショップで撮影されたもの。
会場となった修道院は、幾月ののちに爆撃で破壊されたという。
他に、ギリシャ神話でトロイ遠征に加わったユリシーズの話に出てくる牛やタコやヤギなどの動物を小さなメモに描き、そのメモで世界地図を作った『無題』など。





(上)『Notice-Forest』 (下)『Furious Pizza Box』 照屋勇賢
資料提供:トータル美術館



木がマクドナルドの紙袋から切り出されている『Notice-Forest』。
ちょうど紙袋の上下に付く大きさで、三次元のホログラフィーのような作品だ。
これを、観客はハシゴを上って覗き見る。
照屋勇賢はこれまでも、ダンキン・ドーナツなど世界展開のファーストフード店の袋の中に木を生まれさせてきた。
木は、実際にあるものを写真に撮ってモデルにしたものだという。
グローバリゼーションへの反駁。


『Furious Pizza Box』は、2004年宜野湾市の沖縄国際大学構内に米軍のヘリコプターが墜落した際、宜野湾市長も大学学長も沖縄県警も米軍によって事故現場への立ち入りを禁じられたにもかかわらず、米兵が注文した配達ピザのスタッフを現場内に招き入れたことに沖縄県民の怒りが爆発している、というニューヨークタイムスの記事に端を発している。
一般公募した人たちを集め、なんと事故現場の大学で写生大会を開き、その記事の見出しをプリントした配達ピザの箱の中に絵を描いてもらい、それを集めたものである。




『眠れる森の美女』 ホン・ソンミン
資料提供:トータル美術館



『眠れる森の美女』は、風邪薬「パンピリンF」のキャラクターとして30年間テレビCMに出演していた少女(「パンピリンガール」)とクマ(「ウルサ」。熊肝が原料の肝臓薬の名。クマは朝鮮の古代神話「檀君神話」に出てくるおなじみの動物)を題材に作った映像作品。
ホン・ソンミンは、同じモチーフの彫刻を昨年の釜山ビエンナーレに出展している。
ウルサに起こされる美女・パンピリンガール。
その口から大量の風邪薬を吐き出す。
パンピリンガールが風邪薬を投げると、ベトナムの空を飛ぶ米軍機が次々と爆発する。
パンピリンガールは、チャイコフスキーをバックに「ベトナム娘と結婚しなさい!」と叫ぶ。
戦争と潜在意識、風邪薬と肝臓薬(酒をたしなむ人には一緒に処方されたりする)、クマと檀君神話といった連想に易い数々の事物が寓話的エッセンスとなっている。


Posted by art,seoul at 02:25 AM

January 02, 2005

『Media_city Seoul』 12.15-2005.2.6 ソウル市立美術館





オープニングで上映されたウォルフ・ヘルツゥレの『...and I am a part』。
市立美術館を訪れた人びとの顔が、流れるように別人に変化していく。




Media_City Seoul 2004』(正式名称:第3回ソウル国際メディアアートビエンナーレ)は、韓国における代表的な現代美術の国際展のひとつである。
毎回ソウル市立美術館で開かれているのだが、メディアアートに特化されているのは、ソウル市がIT都市(e-Seoul)を標榜していること、また光州や釜山といった地方都市の各ビエンナーレとの差別化をはかる意味もあるだろう。


今回のテーマは「digital HomoLudens-GAME/PLAY」。
「HomoLudens」とは、ヨハン・ホイジンガーが1938年出版の著書で「”遊び”をする人間」という概念として定義付けた言葉である。
人生はゲームであり人間社会は巨大なゲーム場である、という「ゲーム」の概念を大きく広げたうえで、デジタル化社会に生きる私たちの表象を切り取って例示する狙いがある。
展示されている42作品中ゲームアートももちろん多くあるが、狭義のゲームにこだわらず、映像やウェブアート、体で感じるメディアファニチャーなど多様な作品が揃っている。




■ 外国人作家



ヤノベケンジ 『森の映画館』外観。


ヤノベケンジは、『森の映画館』を出展。
ガイガーカウンター搭載の「アトムスーツ」を装着したバーコード頭の人形・トらやんの後ろに、小さな小屋が建てられている。そこには子供しか入れない。
中では映画が上映されており、そこでは冷戦下、アメリカで子供の対核爆弾の教育用に作られた非常に馬鹿馬鹿しく皮肉なアニメーション(『Duck&Cover』、映画『アトミック・カフェ』でも引用)を交えながら、作家の父親が孫(つまり作家の息子)に核戦争になったあとにも生き残って欲しいというメッセージを送っている。
先んじた者の、未来の人間への願い、教え。
ちなみに今回のソウル滞在で「ソウルのトらやん」を主題にしたドキュメンタリーも撮影されたとか。


日本からは他に神里亜樹雄、柴田知司、真下武久(『Moony』)、*candyfactoryの古郷卓司(『Audiences』)が参加。




ツァボリック・キスパルの映像インスタレーション『Edging』は、大空を羽ばたく鳥のピンボール。
スクリーンの端に鳥影が到達すると、別方向に跳ね返る。



ベアト・ガイスラー、オリバー・サン 『狙撃手』。シューティングゲームをする人たちの肖像を撮った映像作品。
大部分は無表情で視点が一か所(ゲーム画面)に固まっており無気味。




2001年、東京オペラシティーでの『わたしの家はあなたの家、あなたの家はわたしの家』展にも参加した中国の作家ワン・ジャンウェイの作品は、典型的な戦争映画と文化大革命を扱った現代オペラといった、おそらく70年代くらいの中国の共産主義プロパガンダ映像を交互にひたすら流す『記念式』。
作家は子供の頃、それ以外に選択肢がなかったために、こういった映像を繰り返し見ていたという。
個人的体験にもとづく、イメージとコードの刷り込みについての告発。






ベアト・ブローゲル、フィリップ・ジンマーマン 『onewordmovie』


ベアト・ブローゲル、フィリップ・ジンマーマンの『onewordmovie』は、インタラクティブ・ウェブアート。
観客がキーボードで呼び出したいイメージを指す言語を打ち込むと、世界中のウェブ上からイメージを探し出して表示してくれる。
そのイメージは2つ以上見つかった時点から表示され、それがチカチカとものすごいスピードで交互に映し出される。時間が経つにつれて検索されたイメージの数は増大していく。
子どもが見たらてんかんを起こすのではないかと心配するが、それ以前に何を検索しても絶対にポルノイメージが検出される(圧倒的に無修正のものが多い)。
ウェブ世界の性向がおのずと分かる。






ヤン-ピーター・E・R・ソンタグのメディア・ファニチャー『OMO』
座ると、心臓の鼓動のような音と衝撃を受ける。



パリを中心に活動するPLEIXは、消費社会における人びとの消費欲と企業がモノの量や大きさを盾に押し進める事業と肉体的・性的快感とが似通っていることをコミカルに指摘した『Plaid:Itsu』と、少女むけの「お化粧セット」のようなおもちゃを題材に、女性の美しくなりたいという欲望と整形手術とを揶揄した『Beauty Kit』を出展。
グラフィカルでリズム感もあり楽しいが、内容は相当アイロニカル。


イギリスの作家・ラングランズ&ベルの『オサマ・ビン・ラディンの家』は、インタラクティブ・インスタレーション。
レバーを動かすと、アフガニスタンの首都カブールにある殺人犯の処刑所や駐アフガニスタン米空軍基地、ジャララバードにあるオサマ・ビン・ラディンの昔住んでいた家の内部などを、映像で見ることができる。
映像は、人の不在や静寂を感じるものばかり。アフガニスタンの現実とは、実はこんなものなのだろうか。





■ 韓国人作家



キム・キラ 『0.000km Zero Sum Game』入り口部分。


パク・ジュンボムの『25Acrophobia』は、半分に切られた卓球台の奥にスクリーンが立てられて投影されているビデオインスタレーション。
卓球台には白いビービー弾が撒かれている。その先には夜のバスケットボールのコートが映されていて、どこか高い位置からバスケットボールがひたすら投げられる。
きつくライトに照らされたバスケットボールは白く光っている。そして遠近法によって、卓球台の上に散らばるビービー弾とまったく同じように見える。そしてバスケットコートは卓球台の残り半分に見える。
私たちの視覚による事実の歪曲を見せてくれる作品。


そして日本など海外のグループ展にも数多く出展しているキム・キラの『0.000km Zero Sum Game』は、観客がゴーグルを装着すると、資格だけでビルからの飛び下り自殺を体験できる作品。
これが人生というゲームから脱落した者が選ぶひとつの道であるという深刻な話題を、ユーモアでひねっている。


イ・セジョンは、毎年サムジースペースの恒例展覧会として開かれている『Open Studio』展に、去年ササやイ・ヒョング、ハム・ジン、FlyingCityら注目の作家たちと共に出展した作家。
人の顔はその人そのものではないという考えに基づいた作品を作っており、今回出展した旧作の『顔』というパフォーマンスビデオでは、自分の頭に半透明のビニール袋をかぶせ、その上からマジックで自分の目、鼻、口、とパーツをなぞっていく。
顔を描き終えると、突然口を開けてビニールを全部食べてしまう。


韓国人作家は他にチャン・ヨンへ・へヴィー・インダストリーズが『OPERATION NUKOREA』(ウェブアート)を、チョン・ドンアムとチョン・ムニョルが『アンディーの夢』(シューティングゲームアート)を、ムン・キョンウォンが『私をちょっと見て』(メディアインスタレーション)を、ホン・ソンダムが『1999-脱獄』(ビデオインスタレーション)を出展している。




また、この時期の国際展としては、2004年11月24日ー2005年1月23日、国立現代美術館で『YOUNG ARTISTS from KOREA,CHINA,and JAPAN 若き模索2004』展が開かれている。
韓国からはクォン・オサン、パク・へソン、ヤン・アチ、イ・ヒョング、チョスプ、チョン・ソンミョン、ファン・へソン。
中国からはフォン・ツォンジー(俸正杰)、ホン・ハオ(洪浩)、ホン・レイ(洪磊)、シン・ダンウェン(邢丹文)、ウェイ・ドン(魏東)、ツァオ・バンディ(趙半狄)、ワン・チンソン(王慶松)。
日本からは、ヤノベケンジ、中村哲也、川島秀明、ムラギしマナヴ、クワクボリョウタが出展している。




写真の掲載を許可下さったMedia_city Seoul事務局と、ヤノベケンジ氏に感謝いたします。

Posted by art,seoul at 01:16 AM